サマータイム [音楽]
この曲は素晴らしいです。
曲の本旨は、物憂い心です。
では、そこにあるチェロの「音」はなんでしょう。
弦の音が物憂いのでしょうか。
いいえ。この録音の素晴らしいのは、音がこの世のあるものに近似しているからです。
ゲオルギアーデスに答えをきいていただきたいと思います。
或るチェロの音色 [音楽]
オーフラ・ハーノイ氏です。
1980年代の演奏を19曲集めたOFRA HARNOY IN GREAT CELLO MASTERPIECESというCDがあります。
これが、ただの小曲集ではありません。
夢のあとに(フォーレ)、ハンガリー狂詩曲(ポッパー)、エレジー(リスト)、祈り(ブロッホ)、オリエンタル(グラナドス)、愛のあいさつ(エルガー)、エレジー(フォーレ)、白鳥(サン=サーンス)、ホラ・スタッカート(ディニーク~ハイフェッツ)、感傷的なワルツ(チャイコフスキー)、亜麻色の髪の乙女(ドビュッシー)、サパテアード~スペイン舞曲 作品23の2(サラサーテ)、妖精の踊り 作品39(ポッパー)、鳥の歌(カザルス)、序奏と華麗なるポロネーズ(ショパン~フォイアマン)、愛の喜び(マルティーニ)、カプリース 作品1の24(パガニーニ~シルヴァ)、スペイン舞曲~「はかなき人生」より(ファリャ~ジャンドロン)、サマータイム~「ポーギーとベス」より(ガーシュウィン)
或る器楽曲の小曲集で、これほど考えて向きあったディスクはありませんでした。
奏者の演奏会に父が出向き、封入冊子にサインをもらっていますが、私はじかの演奏は聞き損ねています。
しかし、例えば「鳥の歌」は、カザルスが米国大統領の前でやったものに匹敵するような、悲哀の抑制が凄いもので、何でこうなっているのかいまだにわかりません。
音はじかに五感に触れる人的技術のたまものです。そして、音に感情を乗せるものならば、感情のきめ細かさが体現されるので、奏者本人の内面が先導してすべてを支配するわけです。おそらくね。
それでは、奏者の内面に聴く側がよく知り得ない深さや豊かさがあるのでしょうか。
そうなのかどうか、断言できないですね。
やはり謎です。
そして、それは後年のバロックスタイルの曲選びにいたると、より深まっていきます。
STEVE REICH WTC 9/11 [音楽]
にDVDがついています。
MALLET QUARTETです。
4人のパーカッショニストが演奏します。
平岡養一氏以来、木琴、鉄琴は音が好きです。そして4人も居るのです。
観てみてください。
そして、勿論、聴いてみて。
シューベルト [音楽]
即興曲90-3、90-2。
往年の力強さを含むフレーズが消えて、ただ純粋に軽やかに推移しているので、驚きです。
あっという間に演奏が終ってしまいます。
したがって、シューベルトに関しては、淀みを感じません。
久しぶりに [音楽]
タワーレコードへ行ったのです。
諸井三郎とその弟子たち、諸井誠作品集、カペルのオーストラリア放送用録音、クロノスカルテットのライヒ911。
いろいろと勉強できそうです。
坂本龍一氏のものが、「大人のJ-POP」のコーナーの方にありました。意外です。
モーツァルトのソナタK310 [音楽]
若いころの録音に比べると、ややたどたどしくなっていますが、静かな展開でした。
ウィーン風?
そういえばバーンスタインがウィーン・フィルとモーツァルトのピアノ協奏曲をやったときに、団員にウィーンの伝統を教えてください、と頼んでいたのを思い出しました。
バドゥラ=スコダにかかると、シューベルトだって何だって、軽やかな音になります。
原曲の本来もっている音のある側面が、奏者らしく引き出されるのです。
たった今、バッハが終りました。 [音楽]
演奏が終ったあとに、聴衆の拍手が入っていたので、ライヴ録音です。
パルティータの第1番。美しい。
2010年9月のブザンソン・リサイタルで、バドゥラ=スコダは1927年の10月生まれですから、もうじき83歳になるという頃の録音です。
リパッティのバッハと言えば、「イエスよ、私は主の名を呼ぶ」です。コラールです。あんなにかなしくてきれいなバッハはまれなものです。
同郷のハスキルが、親身で深い理解を示した評言を残しています。ご一読ください。
早く亡くなったので惜しむ声が高く、またバドゥラ=スコダの敬意は、親しくお付き合いしたリパッティ夫人との交流から始まって、リパッティの演奏録音の本質を理解しようとする志に転換されています。
遂には、このリサイタルをささげています。何もかもまっすぐですね。
Paul Badura-Skoda 「Tribute to Dinu Lipatti 」が届きました。 [音楽]
この人に出会ったのは、ディスクの世界でです。
フリードリヒ・グルダが吉田秀和氏によって紹介されていました。自然とウィーン三羽ガラスのグルダ、バドゥラ=スコダ、イェルク・デームスの録音を聴くことになりました。
デームスのフランク演奏にかなり集中していた時期があります。
バドゥラ=スコダではシューベルトでしたか。
けれども、ある年、デームスのフランク演奏が鎌倉であったときに、遂に聴きに行きそこねて、がっかりしていたとき、バドゥラ=スコダが、ご近所にやってきたのです。
森の中の音楽堂で、古楽器を指定して、モーツァルトなどを演奏しました。もうかなり高齢ですから、演奏が終ったあとに、椅子から離れる際に、脚がもつれて、ひやりとしました。
音は典雅で軽くて、モーツァルト原曲の持つ、意識がどこかに向かって遠のいて行くような牽引力が遺憾なく発揮されました。
彼がリパッティを記念した演奏をしたわけです。
楽しみです。まだ聴かぬ前が一番楽しいのかも知れません。