わたしは、新しい音とともに [音楽]

いずこへと赴くことになるのだろう。

これが志向の中心にあると思います。 


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それぞれの良さ? [音楽]

人がそれぞれ花であって、個々が大切であるという表現は、特に1960年代以降さまざまなものがあります。

でも音はそこに感じられる、いつでも個別の経験です。

本来一回性のものです。

例えば、わたしはグリモー氏らの演奏が聴きたかったのです。 

そこに何かがいつのまにか参照されるとしても、当初の志向とは別のことです。

わたしは、会ったことのない人たちによる、今までに聴いたことのない音楽を聴きたかったのです。


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グリモー氏がラヴェルのコンチェルトを弾いています [音楽]

受容者としてこの音に向かう場合、聖書以外の書物で、もとい音源で、手元に持っているものはいかなる音源でしょう。

例えば、ベネデッティ=ミケランジェリによるものでしょうか。

この「手元に」という参照対象は、重要です。自分が今向かっている音に対して懐く感想の内容にも影響していることがあります。 


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教授の主著は [哲学]

アリストテレスの読解に関するものでした。

人がものを考えるうえでの基礎をつくるのには、自分にとっての基礎文献が眼前になければなりません。

聖書以外の書物で何がそれにあたるものだったか?

みな考えてみる価値のあることです。 


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<I>について述べよ [哲学]

哲学概論の恒例の試験テーマでした。

或るとき、カレーライスを作る過程について記述して、A(優)を取った学生がいました。

翌年、やはりカレーライスを作る過程について記述して、B(良)を取った学生がいました。

昨年は同じような内容でAを取った人がいたはず、どうして自分の解答はBなのでしょうか。

教授いわく、ジャガイモの皮を剥くところが書かれていなかったからです。 


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タルコフスキー追想 [映画]

ゲーテに『詩と真実』があります。

タルコフスキーの『日記』を読むのに、またこの記録の価値を定めるのに幾つものやり方があるでしょう。私は、これを『詩と真実』と比べていました。 


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先生の近況 [詩と真実]

およそ詩と真実は、神の他に神に敵するものなし、と問い、

そのいらえは、

「おい、おい!もうよしてくれ !吾々の運命の軽車を牽く《時》の駒は、眼に見えぬ霊に鞭たれたように通り過ぎ、吾々としては、度胸を据えて手綱をしかと握り、車を或は右に或は左に向けて、ここの石、かしこの崖を避けて行くよりほかはないのだ。どこへ行くか誰が知るものか。どこから来たかさえ、実はほとんど思い出せないのだ!」(小牧健夫氏訳)

と終息します。


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革命前のロシア教会音楽 [音楽]

革命前日露戦争の前後のロシアの教会音楽の録音を聴きました。

気付いたことがあって、反復の徹底がひとつのルールであったのです。

歌詞があるので聖歌はそれが終るまで続きます。当然のことです。

ふと、リヒテル氏が、さまざまな楽曲のリピートは絶対に省略してはいけない、と発言していたことを思い出しました。 


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ペルトの《フーガ》 [音楽]

記録映画を観て作曲家のことばを聞くと、なじみの旋律を、自分のスタイル、自分の時間感覚により、洗練されたものに変えたこの人物の足取りがわかるような気がします。

かつて「自分の方法は鐘のスタイルだ」と言った人です。

《タブラ・ラサ》におけるクレーメルらの基底音の形成が、鐘の声に似ていることが想起されます。

電子ピアノを用いて説明をしています。

音の生れる地点。


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ペルトの《パッシオ》 [音楽]

ロゴスは受難曲でも、謡はむしろ正調の讃美歌のようです。

そして歌がコーラスになっていて、これは教会によって受容の許容範囲の内外にあるでしょう。

わたしは気に入りました。

いいものにいいと言えるのがしあわせですね。 


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