昭和初年の楽壇 [音楽]

下手をすると、今日よりも思弁的にドイツ哲学からアプローチする手法において勝っていたかも知れません。


そのなかには、河上徹太郎夫妻があって、とくに夫人は語学力により、音楽も文芸も自身の見解をもって価値を切り分けることが可能でした。


小林秀雄氏のフランス語レポートが、語学の達者な者の手によるものではないか、という説が先年立てられました。ここに先の夫妻の存在をあてることもできるでしょう。ランボオを、軽くいなしている、陶酔型ではない表現がフランス語によってなされているとのことです。

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