ペルトの《クレド》 [音楽]

バッハの主題が増幅されていく過程については、既に別のところで述べましたので割愛します。

けれども、グリモー氏らのディスクが発表されたとき以来、一つ気にかかっていることがあります。

パーカッションの音は、受容者にとってバッハの主題に対する異物ともなります。

この異物であることは、パーカッションを用いた人間性の表出=抵抗の表現でもあり得るのではないでしょうか。

アンサンブルの結果、音に調和が成立している有様は、この抵抗表現への移行のレベルと近接しています。

これが残余の問題です。


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モーツァルトのイ短調ソナタをリヒテルが弾いています [音楽]

BBC製作。

奏者独特の奏法をもって、モーツァルトに向かうとどうなるのか。

モンサンジョンの記録映画では、モーツァルトについて、「わからない」と本人は語っていました。

ここに実現されている音を一つの回答としましょう。


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モーツァルトのイ短調ソナタをギレリスが弾いています [音楽]

オーストリアのオシアッハ修道院付属教会での録画です。

わたしは、学問上の立場から意識は何ものかをひっかけて戻ってくる、という考え方をとります。

しかし、この演奏は、どちらかというと聞こえてきて、わたしの内なるなにものかを持っていくような気がします。

教会の建物の中での響きをそのまま伝えています。

記憶では、セシル・ウーセのモーツァルト集の奏鳴に近いと思います。あれはドレスデンのルカ教会だったでしょう。

凄い記録ですね。


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でも、今でもはっきりと覚えていることがあって [音楽]

ペルトの録音がCDやDVDで視聴できるようになったときに、わたしは、音を受容する自分の感覚に耐えていました。

ちょっとしたフレーズが「感動」するに値します。

それは値してしまいます、と言い直しても良いのであって、わたしは、元々、感動している自分など全く信用していません。

なぜならば、それは間違っているかも知れないからです。

無論、ペルトのせいではありません。


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バッハの次にモーツァルトの録音が出ますが [音楽]

その前にバッハとペルトの「クレド」の問題があります。

 ペルトは、録音での演奏が、「クレド」という曲の新しい価値を切り開くと考えています。

ペルト=作曲者自身の所論については別の研究を要しますが、クレド演奏でのバッハの価値の増幅は、その前提に奏者らが確信を得ているであろう何物かの存在を予想させます。

それを何と名指し、いかに記述するかは、聴く者、受容者の仕事です。


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バッハの追究 [音楽]

録音されたレパートリーをあたってみて、やはりバッハが一種の試金石になると思います。

透明感のある曲の演奏です。

バッハ晩年の作品の哀調には曲自体がいたりません。

しかし、奏者によってそこに何が語られているかは、別のことです。 


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