詩と真実
いずこへと赴くことになるのだろう。
これが志向の中心にあると思います。
人がそれぞれ花であって、個々が大切であるという表現は、特に1960年代以降さまざまなものがあります。
でも音はそこに感じられる、いつでも個別の経験です。
本来一回性のものです。
例えば、わたしはグリモー氏らの演奏が聴きたかったのです。
そこに何かがいつのまにか参照されるとしても、当初の志向とは別のことです。
わたしは、会ったことのない人たちによる、今までに聴いたことのない音楽を聴きたかったのです。
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