ヴィシネグラツキーの視座 [音楽]
四分音システムピアノの録音で存在を知り、常にここに還ってくる「場」となり続けています。
作曲手法、演奏内容以前に、細分化した音階への集中は、ある種類の慣例を音楽家のなかに形成して、それが基礎となって多種多様の歌をうたうことになります。
聴くわたしたちの中にもそれに準ずるなにものかが形成されてきているのではないか、と考えています。
金澤の夜 [音楽]
金沢市内の音楽店をめぐって、CDあさりをしました。つごう2度赴きました。
そして、その品ぞろえの水準の高さに驚きました。EMIレーベルのクラシック製品を網羅的に置いてある店もあって、大いに勉強になりました。
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吉田秀和氏の残したもの [音楽]
過ぎ去って初めてわかる価値があります。
朝日新聞の文化圏にいらした訳ですが、常にアップツーデートな話題を取り扱い、まずもって読み手を飽きさせませんでした。
論壇時評の加藤周一氏と双璧でした。
ただし、本当は河上徹太郎氏と議論を戦わせてほしかったところです。
昭和初年の楽壇 [音楽]
下手をすると、今日よりも思弁的にドイツ哲学からアプローチする手法において勝っていたかも知れません。
そのなかには、河上徹太郎夫妻があって、とくに夫人は語学力により、音楽も文芸も自身の見解をもって価値を切り分けることが可能でした。
小林秀雄氏のフランス語レポートが、語学の達者な者の手によるものではないか、という説が先年立てられました。ここに先の夫妻の存在をあてることもできるでしょう。ランボオを、軽くいなしている、陶酔型ではない表現がフランス語によってなされているとのことです。
1978年、諸井三郎氏追悼コンサート [音楽]
まだ、河上徹太郎氏も生きておいででした。
これは、楽壇の課題の積み残しの集大成でもあって、理念的には、戦中に時が止まっていることを意味します。
例えば、子息の諸井誠氏の活躍していたのは、父上とは「別の」分野であったことになります。